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architecture, design, art, film, memorandum

November 2012

アラサー結婚事情


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友人の結婚式.
めちゃくちゃ新婦を大切にしてくれそうな旦那さんで、
お父さんはもう、目頭が熱くなった.

ユリーゴ、おめでとう.

場所も天気も最高だったので、
これまで参加した結婚式の中でもかなり想い出に残るものとなった.


ただ、
久しぶりに集まった大学院の同期との会話で、
ちょっと驚愕の事態が発覚したのである.

同期は15人くらいいたかと思うのだけれど、
僕以外はもう来年までにみんな結婚するらしい.
一人は1ターン終わって二度目なので、僕と同じ立場なのだけれど、
結婚経験 という意味では、
来年は僕だけ結婚していない ということになるようだ.

女子率が高い集まりだし、
相当適齢期なので、妥当と言えば妥当なのだけれど、
男子も何人かいるし、
こうもバッチリ残ると ちょっと焦るのである.

結婚は何度か考えたし、チャンスもあった時もあったので、
悔やまれると言えば悔やまれるけれど、
前を見よう.
ん?
特に何もないぞ?

一生一緒にいたいと感じられる人 が居て、
その人が自分と同じ様に考えてくれているって、
やっぱり難しいし、
ハチクロで山田あゆみが言っていた言葉頭をよぎるのだった.


自分の一番好きな人が
自分を一番好きになってくれる。
たったそれっぽっちの条件なのに、
どうしてなの
永遠にそろわない気がする…
このままずっと…ずっと…


まあ、今 そんな人も居ないんだけどねー.
そう想える人がいるだけでも、
幸せなことなんだよ と 山田に言ってあげたい w


アーキテクトの仕事

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元来、権力者や国のヴィジョンや威厳、宗教というファジーなものを、
シェルターに装飾を与えたり、拡大・拡張するとう
ヴィユアライゼーションを行うのが、建築家の職能だった.
その後、
公共施設というもう少し”権力”臭が薄まったものを 同様に、
周囲の環境や社会性だとかをヴィユアル化する
という職能に変節して今に至る.

じゃあ今 現代は?
公共建築には同様にそのようなものが求められはし、
建築家は当然そのように振る舞っているのだけれど、
近代までのような公共建築の地域におけるパワーは弱まり、
実際には雑居ビルのような場所や、ネットスペースや
そういった、非公共的なものが半公共化している.
これが、
宮台さんの言葉で言う、島宇宙化やトライブ化という現象で
大きな全体を包摂するような公共施設は無くなり、
代わりに小さな集まりを包摂する民間施設が無数に存在する という状況.

結果として、
建築家の本来の職能に近いものは、
個人の住宅や半公共的な上記施設、具体的には店舗だとかの
ヴィジュアライゼーションになってきている.
代わりに、
”社会”みたいなものに対して建築家の代わりにヴィジュアライゼーションの
役割を果たしているのは、プログラムアーキテクト、ソフトウェアアーキテクト
みたいな新しいアーキテクトで、
SNSが分かりやすい例だけど、生活を取り巻く様々なシステムが
彼らによって構築されている.

そういう意味で、
建築家の社会的地位は、まだまだ公共施設や半公共施設のために
ヴィジュアライゼーションする という意味で一定の価値が認められては
いるものの、元来備わっていたものほどではない.

僕は、現状のこのようなポジションに必ずしも否定的ではないし、
現代という時代はそういうものであって、受入れているつもりだ.
ただ、
この受入れは、”諦め的な受入れ”ではなく、”挑戦的な受入れ” でありたいし、
そうであるからこそ、今のようなポジションから
従来のアーキテクト的な役割も、何か果たせるようになるんだと思う.


そこで僕の具体的な ”挑戦的受入れ” は何か?
これを建築の勉強を始めた10年前から考えているわけだ.
大学では、
人間工学、ランドスケープ、アーバンデザイン、複雑系のアルゴリズミックデザイン
大学院では、
建築と経営戦略、不動産
社会人になってからは、
引き続き 経営戦略、不動産、
さらに 都市経済学、社会学、デザイン思考、パラメトリックデザイン

いろんな分野を積み重ねて、建築と絡められないか試行してきた.

その試行の履歴の結果として今辿り着いてきたのが、
建築 x ブランディング戦略 → 商業系建築、文化系建築
建築 x エスノグラフィー  → 住宅系建築、商業系建築、文化系建築

結局、何かのイメージをヴィジュアル化する仕事が建築なのだから
それを詩的な範疇だけではなく、マーケティング戦略と抱き合せで
サービスし、空間を紡ぎだした方が、新しいものやクライアントに
価値があるものが生み出せるのではないか.

エスノグラフィーは文化人類学の分析手法であり、
IDEOだとかのデザインコンサルティングファームや、インターフェースデザイナーが
参照していることで知られている.これを、
ある程度オーナーが決まっていたり限定されている建築にアプライする事で、
これもまた、新しい価値が生み出せるのではないかと考えている.

今後はこの2つに注力して、
新しい建築、新しいアーキケクトの職能をつくり出したい.

都市における ”粒” である建築においてこのようなサービスを
繰り返して行く事で、その集積としてなのか、新しいフレームワークが
見つかるのかはまだ不明だけど、改めて 都市とも向き合える気もしている.


ちなみに、
最後まで悩んで、いろいろと専門の人にお話を聞く事で棄却したのが、
建築 x 不動産 で、
つい最近まで、これは僕の中でかなり強かった.
けれど、
不動産は本質が、付加価値ビジネスではなく、利鞘ビジネスで、
フローや戦略自体も結局そこに収束していくものだと感じた.
営業力と情報力 が一番の競合優位性のため、
僕がやりたい付加価値ビジネスとは本質が違い、
その意味では、その道のプロと共同することの方が
自分のヴァリューが出しやすいと践んだからだ.

また、
社会学や経済学は、プロフェッショナルとしての常識知識であって、
これをもとにサービスする事が無いのだけれど、
知識として、今後も深化していかないと切に思う分野である.



創造システム理論


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以前ルーマンの社会システム理論を読んだ時、
ルーマンの書籍では平易な方のものを選んだにも関わらず、
相当じっくりと読み進めないと置いていかれてしまうため、
グッタリして挫折した覚えがある.

もう少し 解説本的なヤツを読んで、大枠を理解して
それからこいつを倒そう と考えていた.
そのまま手が止まって半年くらい経過した頃、
SFCの井庭さんという教授がルーマン信者ということが分かり、
彼が最近 社会システム理論の本を出版したことが分かった.

中は宮台さんとの対談もあり、
こいつはおもしろそうだとさっそく購入.

やっぱりすげー面白かった.

まず 社会システム理論とは??
そもそも、社会システム理論というか社会学というのが、
社会とはなんぞや? みたいなことを記述・説明する学問で、
いろんな分野に別れている.その中の1つが社会システム理論で
20世紀中盤にパーソンズが、後半にルーマンガそれぞれ独自の理論を
構築して、今に至る.

パーソンズとルーマンの社会システム理論の違いは、
社会システムの中に”人”が介入されているか否か.
前者は人は1パーツだと考え、後者はパーツでは無いと考える.

経済学の一般化のように、社会学も現象/社会を一般化する事で
例えば経済界と宗教界、政治界を比較するようなことを1つの
目的としていて、その意味では ルーマンの切れ味は
とても鋭いと僕は感じた.

じゃあ
ルーマンの理論とはどういうものかと言うと、
社会を、コミュニケーションがコミュニケーションを連鎖的に
引きをこすことで成立つシステム であると定義づけている.
例えば、
経済で言うと、”支払”というコミュニケーションが流れ続ける事で
経済が成立している.これが滞れば、たちまち経済は成立たなくなる.
水が流れることで川が成立し、流れが止まればそれは川ではない.
川の本質は ”水”ではなく、”流れ”だというイメージ.

これをもう少し整理すると、
経済システム:稀少性を減少させるという機能
成果メディア:貨幣
コード:所有/非所有
振り分けシステム:予算、投資プログラムなど となる.
比較してみる.
政治システム:集団拘束的な決定を実現するという機能
成果メディア:権力
コード:与党/野党
振り分けプログラム:綱領、マニュフェスト

上記のように社会の様々なシステムを並列に比較対象するこができるのが
社会システム理論のすごいところで、
これらが垂直的、横断的に絡み合っているのが現代の複雑な社会の姿ということになる.

先に示した、人間が社会システムのの主構成要素になっていないことで、
人間を上記のコミュニケーションの流れと区別が可能になり、
初めて 社会と人間 という一対の関係を記述する事ができるという
大きな結果が得られるわけだ.

あとおもしろいのは、
そもそもこの考え方自体は生物学の分野から持ち込まれていて、
同時期にプログラミング系でもサンタフェ研究所とかで
流行っていた複雑系の概念にも繋がっている.
つまり、
上記システムは、オートポエイティックで自己生成・成長していくシステムであるということ.
井庭さんは この部分に共感していて、
コンピューターシミレーションを組む事で
社会の動きを把握したり予測したりする研究をしているようだ.

そんな彼のスピンオフ概念が、
創造システム理論 で、
「発見」は「アイデア」と「関連づけ」が「見いだされた時」に創発する.

まだ当然発展段階の概念なのだけれど、
これは非常に興味深いと思う.
というのは、デザイン思考だとか、イノベーションコンサルティングだとかで
用いられている手法というのが
この考え方に通じるものがあるからだ.
IDEOがやっているような手法でも、
コンテクスチャル・インクワイアリーや技術の棚卸し をすることで、
拾っていない情報をまずどんどん集める.
その後、それらの関連付けを試行錯誤して、
ラピッドプロトタイピングして、
さらにそこから得られる情報を関連づかせて、
このフィードバックを繰り返している.

つまり、アイデア/情報をできるだけ引出す仕掛けを、
それぞれのプロジェクトのフェーズで繰り返すことができるシステムを
構築する事で、効率的にイノベーションが起こるように
彼らはプロジェクトを構築しているのである.
これは、逆に言うと、
アイデア・情報出しの数が少ないいことで、関連づけができなくて、
部署が完全に別れる事でラピッドプロトタイピングからの
情報の関連付けのスパイラルがつくれないことによる
低イノベーションに悩む現代日本の企業にも当てはまる.

こういうことを意識して情報集めや案出しするのと、
漫然とやるのとでは 隔絶の差がある.
やってみよう☆
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