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architecture, design, art, film, memorandum

August 2012

ダイエット


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30歳の健康診断で、
10代から変わらなかった体重が微増した.

ああ これが30代ってやつか、 と思い 運動を始めた.
ボルダリング、サーフィン、けっこうやったし、
毎朝ストレッチも少しするようになった.

少しビルドアップされてきたな と思いながら臨んだ
31歳の健康診断で、
まさかの体脂肪率大幅増量、要生活改善.

体重が増えたのは、筋力が増えたためだと思っていたら、
どうもそれに加えて脂肪も増えていたというオチ.

スーパーショックだったので、
もう運動はしっかりしているその上に何をすればいいか、
保健士さんに相談した.

ターゲットは 脂肪分 だった.

それ以来数ヶ月、
大好きだったシュークリームも、クリームパンも、
トンカツも、唐揚げも、ポテトフライも
全く食べず、
夕食をおにぎりからサラダや豆腐に変えた.
特濃牛乳を低脂肪牛乳に変えた.
ごはんの量も少し減らした.

それに加えて、
早く帰った日は、有酸素運動になるように、
テレビを観ながらダラダラ小一時間運動をするようにした.

ちゃんと痩せました.
-3kg!!!

1年前に戻った!!!

数値だけじゃなく、脂肪を減らして筋力をつけれたようで、
お腹もプチメタボから、スリムになった.
つまり、1年前より向上した!!

あと-2kgして10代に戻るのです.

しかし、
食事だけでこうも変わるのかと、かなり驚いている.
そして、運動する体になったので、新陳代謝も良くなったのだけれど、
休日にずっと家にいるのが気持悪くなった.
体を動かしたくなった.

30代、人生で最も健康です.


大人の本気

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都立現代美術館の
館長庵野秀明 特撮博物館 を観てきた.

スーパーおもしろかった.

僕の中でこだましているのが、
「大人の本気」というフレーズ.

子供が楽しんでいたようなウルトラマンのような特撮も、
大人が本気を出して、めちゃくちゃ凝っているからこそ、
その物語が真実味を増し、引込まれるのだと思う.

細部に渡るこだわりや、
ホントに遊びの延長で本気で仕事をしているんだな と感じられるような、
特撮技術の試行錯誤の映像だとか、
実際に使っているものだけでなく、
実際につくっている風景をまとめて観ることができたのは、
ホントにいい財産になった.

相当久しぶりに、展覧会の本も買ってしまったし.

しかし、思うに、
ビデオがデジタル化したことで、
合成技術や精度が格段に上がって、
昔の特撮映画だとかにあったような、いかにもスケール感が違うモノを
合わせています みたいな違和感が、
今回の巨神兵東京に現るには全く無くて、
CGよりも逆に生々しいくてすごくよかったと思う.

つくり手側としては、
やっぱ特撮のがお金がかかるかなー なんて思ってしまうけれど、
それだけの迫力というか、実物感はあったと思う.
また観たい.


大人は子供と違って、手を抜いて巧く仕事をこなすことを
いつしか覚えていってしまう.
かくいう僕も、そういう部分が無いわけじゃない.
効率的にやろう とかいつも考えてしまう.

けど、そうじゃなくて、毎回新しいものをつくろうとしたり、
見た事も無い表現を探ったりする、
子供のような純粋さと大人の技術力、能力、頭脳、知恵、
こういうのが合わさったのが、
大人の本気 なんだなーと ジーンと考えさせられた.

このお盆は1つコンペをやろうとしているので、
ひとつ、大人の本気を見せてやろうと思う.


ちなみに、
このトップの絵は、ウルトラマンの産みの親の成田享さんが描いたものなんだけど、
ウルトラマンを油彩で描く ていうところに、
なんだか並々ならない本気度を僕は感じてしまったわけです.
よく分からないけど.
アレは、娯楽だとかじゃなく、
列記としたクリエイションなんだと 何だか言われているような気がして.
そして、事実、そうだと思う.



不幸のロジック

DomesticViolence



ダメンズウォーカーや、DVウォーカーは
何度もそういう出会いを繰り返すという話をよく聞く.

合理的な人間としては、
もう 全くワケが分からない、ある種神がかった行動と言わざるを得ないわけで.

そんな女子を好きになった場合、きっとダメンズに負けてしまうわけだけど、
なんとかならないのかなーと考え、
googleさんに聞いてみた.

いろいろとあったのだけれど、
そのメンタリティのロジックとしては、
この心理学的アプローチが一番納得感があった.



----------

人は自分自身を好きになれないと恋愛はできません。

例えば、いつも幸せになれない相手を好きになる人は自分を好きではない場合が多いです。心理は下記の通り。

(A)
自分が嫌い = 幸せになれなさそうな相手・自分を好きにならない相手 = 私を嫌いで大切にしてくれない価値観が同じ(好き)

(B)
自分が嫌い = 幸せになれなそうな相手・自分を好きになる相手 = 私を好きで大切にしてくれる価値観が違う(嫌悪感)


これは深層心理(潜在意識=無意識)で働く作用なので本人は無自覚。
さらに自分が嫌いな人は人を好きになる基準が上記の通りなので「好き」という感情もいまいちわからない。

幸せになれなさそうな相手を好きになる = これが好きという気持ち??幸せになれないと思う相手なのに??

という矛盾があるので

好きな相手 ≠ 結婚したい相手

となる。だが自分を大切にしてくれる人を好きになる人間なら現実と感情に違和感はないので

好きな相手 = 結婚したい相手

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そもそもの僕の質問に対する答えはじゃあどうなるのかと言うと、、
そういった事象を説明しても ダメなんだろうなぁ w
彼女が自分を好きになる手伝いをする のだろうか.
遠回りだけど.

つながること

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人生においては3人目、リアリティを加算すると初めての、
結婚したいと思っていた人と別れた.

4年間付合った人と別れてから、
けっこうまともに恋愛ができなくなって、
コレはやべーな と思い立ち、
天ない ハチクロ 等 バイブルを読み返しリスタートを図っていた矢先、
出会った人だった.
正確に言うと、再会した人だった.

僕の人生で唯一の複数回付合っている人で、
2度目に別れた時に、
「次があったら結婚しよう」と言って別れただけに、
最初は会う事に躊躇した.
ホントにこいつなのか? もう少し後でもいいんじゃ? なんて.

ただ、そんな問答をしている間に、
時間と二人は進み、また戻ってしまった.

前回別れてから2年が経っていて、
それぞれ少し成長したし、
お互いを取り巻く状況も変わったいたので
少し一緒に居たら、あ これは大丈夫だ と感じられた.

彼女も徐々にほぐれてきて、
過去2度と比較しても大きく二人が近づいている感じがした.

ただ、
この感覚というのが、
恋愛の初期にあるような ドキドキ や ワクワク みたいな日常からの飛躍ではなく、
ポカポカ や マッタリ みたいな日常の延長や日常の一部 としての
幸福感だった.

4年付合った彼女と別れた時に、
僕はまさに この 今起こっている日常が 延々と続いていくような、
いつも一緒に穏やかに笑っているような光景の連続が、
何だか怖くなって、離れてしまった.
もっと、キラキラする 違う世界もまだあるんじゃないか なんて
無駄なハングリー精神を発揮してしまったわけである.
ただ、してしまった と言えるのは今だからで、
その時はそれが真実だった.
そして、その別れの後、 そんな日常が 実は代替不可能で、
ものすごく貴重な関係だった事を知るわけである.

普通の人は、
こんな経験をしなくても 暗黙知的にそういったことを感じとって
結婚したりするんだろうけど、残念ながら僕にはそんなセンスは無く、
失敗を通してのみ、知る事が許された新しい真実だった.


話は戻って、
その彼女は、顔も知らない人に 兄弟ですか? と言われるくらい、
何だか似ているんだけれど、性格も僕と近かった.
特に恋愛に関する部分が似ていた.

僕と同じように、例の暗黙知が欠けていた.

それは、別れ話をしている際に
彼女の話をツレツレと聞いているうちに分かったことだった.
5つ下の彼女は、殆どあの時の僕と同じ時期に、何だか同じような選択をしたのだった.

だから、このことは彼女がこの時間を喪失したり、
日常の飛躍に限界を感じ取らない事には
いくら僕が言葉を尽くしても伝わらない事なんだと
自分でもびっくりするくらい、納得がいったのだった.

ただ、僕にこの真実を教えてくれた人と僕とは、
もう完全に絶縁状態で、僕はこの状態が一番いいと思っている.
変な表現だけど、
すごく幸せを願っているし愛しているけれど、
実際にどうしているかは、全く知りたくも見たくも無い のである.

僕と、今回の彼女がこのようになるのかどうかは
まだ分からないけれど、
僕がそうであったように、
彼女が新しい真実を、見つけ出してくれたのなら、
すごくうれしいなと思う.



彼女と別れた日の夜、
会社帰りの薄暗い部屋で食事をとった後、
なんだか何もやる気が起きずにボーっとしていた.

こういう時って、
目を閉じると、彼女がいるけど、
目を開くと、彼女がいない現実を突きつけられるから、
目を開いているときの方が哀しくなるんだと知った.
フツーは逆だと思ってた.

そして、
知らない間にいっぱい涙が出てきた.
こういう経験はホントに久しぶりだった.
漫然と泣くのも何だか釈然としないので、
この涙の源はなんだろう? と自分の奥に探りを入れてみたのだった.

そして、驚いて、また涙が出てきた.
源は、彼女が居なくなったことによる喪失感からじゃなかった.
自分の愛情が裏切られたというような感覚でも無かった.
それは全く逆のベクトルのもので、
あの晩に、僕が彼女にとって、4年前のあの人のような存在になっていることを
知って、それを伝えた時に
彼女もそれをしっかりと理解していた事だった.
泣きながら理由を言う彼女の言葉は、今書くと嘘みたいになるから書けないけれど、
僕の愛情と彼女の愛情が
しっかりと繋がっていたんだなという感覚が 心にスッと入ってきた.

その瞬間の揺らぎは、多分感動のたぐいだと思うのだけれど、
それがうれしくて 何だか涙がどんどん溢れた.

人間、30年も生きると、涙の源も10代20代の頃の自分ためのものじゃなくて、
他者を交えた、全く違う感情になっていくんだなと 少し笑った.
少し元気になった.

なんてコトは、
誰も酒の席やお茶の席で聞きたいわけでもないし、
映画や小説の中でやっててくれればいいんだけれど、
そんな類いの書きなぐりとして、
気持ちがまだ生きているうちに、書いておきたかった.
かお.

責任感の国民性


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今概念設計の段階からメインでやっているプロジェクトが、
方案設計 初歩設計 と無事終わり、
ローカル設計院がそれを元に作成する施工図設計の中盤まできた.

今回、その施工図をチェックし、
ディスカッションするために彼らと膝を突き合わせたことで、
いろいろと分かった.

全体的なスケジュールとしては、
施工図が終わると申請に出し、
それが通ると入札が行われ、
コントラクターによるホントの施工図が完成し、
(中国の施工図は実際は入札図)いろいろと
後追いのインテリアやランドスケープと調整したのち、
ないしは、調整もせず 着工が始まる.

日本人的には、
建築の設計者は 最後の竣工というゴール、
さらには運用も見越して設計を行う.
けれど、どうも話をしていると、
彼らのゴールはとりあえずの施工図申請で
そこに通るクオリティ以上に図面の精度や意図伝達度を
高める事は殆どしようとしていなかった.
その意味で、僕らがつくった初歩図の方が詳細図は多かった、、、

ビジネス的には、
そんな先のことは考えず
契約ごとの業務を淡々とこなせば良く、
後に請負う人、特に現場で問題が起きても、
まあ あまり関係無いわけだ.

けど、建築というオブジェクトを世に落とすためには、
そんなのは全くダメで、、、

一緒に仕事した事無いから具体的には分からないけど、
これまでの施主の話を聞いていると
欧米系の事務所は中国的なやり方に、どちらかというと近いみたいだ.

日本人って、損な国民性だ. ホント思った.

そんな僕の思いを反映するかの用なリポートを、
日経オンラインでも目にした.

世界のCEOと日本のCEOにいろいろとアンケートしているのだけれど、
変革に望まれる人材像は という質問で、
世界のCEOが求めるNO.1は協調性 だったけれど、
日本は他を顧みない個性 みたいなものだった.

このアンケートの趣旨は、グローバル社会での日本のCEOの
いろんな見方がグローバルスタンダードとずれていて、
ちょっといいのかなー という感じのものだった.

他の点については僕も納得だったのだけれど、
このアンケートだけに関しては、
「だって日本人なんて、協調性の固まりだからね、逆に だよ」
と思った.

日本人て、ホント 変わった人種なのかも知れない.

先月海外を旅してていろんな人種に会ったけれど、
そういう意味では、ドイツ人は何だか親近感が毎回沸く人種である.


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