FUNKSPUNKPUNK

architecture, design, art, film, memorandum

March 2012

シェアハウスという共同体


2e8d91a7a791510999d52cd4e65cc248


最近読んでいる小室先生の中国本で、
共同体(ゲマインデ)の話が出ていた.

ウェイバー先生によると、

-------------
ゲマインシャフト: 本質意志にもとづく結合体」→感情融合による結合
「あらゆる分離にもかかわらず、結合している」
血のゲマインシャフト――母子、家族、親族、民族
場所のゲマインシャフト――隣人、村落
精神のゲマインシャフト――友人 (自治)都市

ゲゼルシャフト: 選択意志にもとづく形成体」→利害関心にもとづく結合
「あらゆる結合にもかかわらず分離している」
契約・大都市・学者共同体など.

中世自治都市は「精神のゲマインシャフト 、近代大都市は「ゲゼルシャフト 。 」
世界史はゲマインシャフトの時代からゲゼルシャフトの時代へ.
本質意志にもとづく結合の衰退=コミュニティの衰退.
-------------

中国は、宗族という縦の繋がり(血縁)とホウとチンイーという横の繋がり(精神)があり、
韓国にも名前は忘れたけど、地縁による共同体、
欧米でいうと宗教による共同体がある.
これらは、現在でもしっかりと残っていて、
規範として個人レベルまで浸透していて、アノミーが起こる事を回避している.

一方、日本は戦前までは天皇教、そして最もコアなのが地縁による村落共同体があった.
それが、敗戦と1950年代以降の都市への人口流入によって消失し、
その受け皿となったのが企業だった と小室先生は書いている.
日本の終身雇用というのは、こういった社会学的背景もあって、
戦後50年続いてきたのかもしれない.

現在、その企業も大企業ですらいつ潰れるか分からないし、
終身雇用も危うい という状況になっている.
もう、共同体の最小単位である家族も崩壊してるし、企業もダメ、
日本人は、完全に人間としての重要な要素を失ってしまった状態である.
で どーするの?
と いろいろな小室先生も宮台さんも言ってるけど、
まあ その答えは今のところ無いわけで.

なんて考えていると、
最近よくテレビや雑誌でみかけるシェアハウスが頭に浮かんだ.
村落共同体があった頃に、そこから出てきた若者の、
都会での村落共同体となったときわ荘みたいな、
ずっと最近無くなっていたのもが、
少し様相を変えて、生まれてきているんじゃないか?
と妄想した.

彼らの動機は、一人で暮らすより楽しい や一人で暮らすより割安
だとか、単純なものだと思うのだけれど、
現代日本社会のヤバさを肌で感じている敏感な若者たちが、
こういった、新しいタイプの共同体を求め始めている と仮定すると、
けっこうおもしろいんんじゃないか?

というのも、
まだ10代20代ばかしの若者が10年後20年後も、
今度は家族として、シェアを続けていたりしたら、
これは、
建物とその敷地自体が村落共同体的なものになるんじゃないか?
その際に、共同体の色分けやサインとなるものは、
建築であって、それは、新築の建築じゃなくて、
やっぱり古いものをリノベーションしたものなんじゃないかなと思う.

共同体や親密感をつくるようなファクターに、
マテリアルや空間の時間軸は圧倒的な存在感を示してあって、
これをベースにした建築空間が、そういった新しい共同体を
包むシェルターとなるんじゃないだろうか.


まー、今僕がつくっているものとは真逆だけど、
つくりたいものの輪郭が少し見えた気がした.


反省会

URpannel


久しぶりにガッチリ獲るつもりでやったコンペが惨敗でした.
納得いかねーなー、と文句ばっかりも言ってられないので、
何故だったのか?
を 分析して次に生かしていきたいと思う.

・僕らの案の売り

壁式構造で住居が2空間に別れるため、
片方にベットルームと水回りをまとめ、もう片側に完全にフリーな空間をつくる.
そこが公的にも私的にも、これまでのnLDKではできなかったアクティビティを
広げられる受け皿とする.狭くてもリッチな家 を提案した.


・評価ポイントのズレ

どうも選出された10点を俯瞰すると、
”外部空間とどう関わり合うか” というのが大きな軸となっているような気がする.
バルコニーを室内化したりと室内に外部的要素をいかにもってくるかということ.
ないしは、1F部分を外部との連続が強くなるようパブリック化していることなど.

僕らの案は、室外、特に景観をネガティブなものとして扱っていた.
ああいう住宅密集地って周辺に同じ規模の建物のバルコニーや共用部廊下があって、
人の視線を気にして落ち着かないと感じ、
そういった、現実的にネガティブな部分を捨象した、外部と断絶した抽象的だけど
現実的に気持ちが良い空間を目指し、それを売りにしていた.
ここういうアプローチは完全にネグレクトされているようで、
選出案に同じようなものは無い.
どちらかと言うと、外部はいつも気持ちよくて開放的にすべきだ 的な
フィクションによって構成された案が選出されている率が高い.
まぁ、審査員長リュウエのつくる住宅とか想像できない歩ほど現実離れに開放的だから、、



・見せ方

これがやっぱりよく無かったようだ.
案の説明を、パースに頼り過ぎている.
海外のコンペだと、複数枚の提示であり、印象の強い綺麗な絵が求められるため、
いつものノリで今回のようなレイアウトにしてしまったけれど、
1枚で、案の良さをアピール/説明するためには
もう少し分かりやすいダイアグラムや色の付け方等、考えなければならなかった.

たとえば、上記に挙げた外部のネガティブさなんて、
このプレゼンからは全く読み取れない.
これが巧く語れることは、逆に他の”外部最高妄想者”たちへの攻撃になったはずなのに、
そして、僕らの案の差異性を強く見せることができたところだったのに、
それは全くできてなかった.
また、事業的にも、あの場所で、1Fを共用部にしたり、外部空間を広げて、
貸し床面積を減らして、それを他の床の価値を上げて相殺する なんていうのは、
土台無理な話だろうと考えてたことも、全く入れてなかったし.

要するに、
絵に頼り過ぎて、自分たちの売りを、
明確に訴求しつつ、他者への優位性を築くようなプレゼにはなっていなかった
ということだと思う.

具体的には、、、
ダイアグラムとパースの間の抽象度のスケールの説明(簡易図面的な)は、
他の案と比べると欠落している気がする.
結果、少し大雑把な印象を与えているか.


・計画

コンペにおいて、
計画レベルで考えていない案が他社から出されているのは、
自分たちの落ち度であるといつも思うわけだけれど、
今回も当然、選出案のうち殆どは予想内、ないしは、事業的に元からアウトだろうと、
考えてもいない案だった.
そういう意味では、僕らの提案は少なくても選出案には無くいわけで、
十分訴求できていれば残る価値があるものだった と考える.
事業的にもフィージブルだ.


以上3観点をまとめると、
個人的には残りうるものであったと思うけれど、
訴求するためのプレゼンに落ち度があった.
ということではないだろうか. なぁ.

一応、選出案を何点か.

result1st0


result1st1


result1st2


result1st3


result1st4


モテない人



img_81449_46853231_0



友人女子がなかなかモテないので、
なんでだろうかと考えていた.
モテる人ってどんなだろう と.

まず、前提として 僕にとって”モテる”というのは、
狙った相手/好みの相手に自分を好きになってもらうことができる確率が高い ことで、
不特定多数から言いよられる ことでは無い.
20代も後半になってきたら、
誰からもモテるというのは、ある意味誰とでもある程度合う という意味で、
エッジが効いてなくてなんだか人としての魅力がイマヒトツだと考えている.

そういう意味で、
僕にとって モテる=魅力的人間 でもある.
だから、恋愛対象として興味無くても、魅力的なモテる人は、
友達にはなってみたいなーと思うものである.

じゃあ、
具体的にどんな人が魅力的なのか?モテるのか?
僕の完全に個人的な意見だけど、ある程度共感されるんじゃないだろうか.



1 自分がどういう人か分かっていてそれを体現できている

これが最大のファクターじゃないかと感じます.
当然、人には長所短所があって、それっていうのは紙一重.
だから、長所を伸ばせばいいと思うのだけれど、
その一方、短所も笑い飛ばしてちゃんとオープンにできていることで、
自分に対しての余裕感が出てきて、すごく魅力的に見える.
自分の短所や弱点を隠して長所だとか強みだけを見せる人って、
やっぱりちょっと信用できないし、怪しい モテない と思う.



2 上記1にあったライフスタイルをしている

1は半分くらいの人ができているんじゃないかと思うけれど、
これはさらにその1/3くらいの人しかできていないんじゃないかなと思う.
僕がすごくイラっとくるのは、
○○が大好きで○○○になりたい みたいな事を言ってるくせに、
実際に日々の生活を聞いていると、ちっともそこに向かっていなかったりする人.
逆に、自分はこんな人だから、こんな生活でハッピーに生きているんだよ、と
別に向上心が無くても、自分が居心地いいと思うポジションをエンジョイできて、
言動一致している人は、素敵だなと思う.



3 相手に興味をもっている

当たり前のようでなかなかできてないんじゃないだろうか.
これって、恋愛でなくてもそう.
興味を持っている = 一定の敬意がある でもあるし、
話を聴く聴かないという話もあるけど、本質はここで、
興味がある相手だから話を聴きたい と思うものである.
ちゃんと話を聴いたり、興味を持って観てるから、
上記1、2をできている人ならば、その人独自の素敵なコメントも出てくる.
これをやられると、やっぱり惚れてしまうと思う.


以上
僕にとってモテる人の3ファクター でした.
おまえはできてんのかよ?
とコレを読んだ人には思われそうだけど、日々精進しています 笑
やっぱり、素敵だなとかカスだなと思ったいろいろな人との経験を
糧にして、自分も成長していかないとダメですからねぇ、、


それぞれの倫理観


adolf-hitler-1


またまた、小室先生の
「政治無知が日本を滅ぼす」を読んだ.

斉の恒公、秦の始皇帝、唐の煬帝、武則天、ローマのネロ、イスラエルのヘロデ王、
ヒトラー、田中角栄 など、
について、彼らの実績を挙げながらいかに暴君と一般に言われている人達が
天才的な名君だったか を示している.
このスピンアウト的な書籍が、「信長」で、ここでも彼は
いかに織田信長が日本の近代化の礎をつくったのかを示している.
この本も相当おもしろかった.

本著がとても興味深かったのは、
一人の暴君/名君を描き、特殊解的に示すのではなく、
これを、ある程度普遍性がある一般解のように見せている事だろう.

そして、なるほどなーと唸らされた2点がある.

1つ、この論旨を通すのに最も説得力があったのは、
そもそも能力の無い、ないしは低い王ならば、
周辺の優秀な側近になだめられて暴君にはなることすらできない.
圧倒的に有能だからこそ、そんな側近を従えて”暴君”たる
力を振るうことができるわけだ.

また、そんな暴君的権力が行使できたからこそ、
始皇帝はその後の中国を常に北方の外的から守る万里の長城を築けたし、
煬帝は現在も利用されるような大運河を建設することができた.
また、ヒトラーも、当時誰も信じていなかったケインズ経済学を採用し、
世界で唯一、大恐慌からドイツを脱出させ、さらにギリギリの賭けで、
ベルサイユ条約を破っていくことができた.
(ちなみによく教科書で習うニューディール政策は、
実際はルーズベルトでも周囲の反対に合い大して効果を出す程実行できなかったらしい.)


2つめは、
職能に対して倫理観は大いに異なり、政治家のそれは
決して一般人の延長線上には無い ということ.
例えば、
医者は人の体を治すために、人の体を切り刻むことが許されているし、
一定の確立のもと、副作用のある薬の投与も認められている.
軍人も、戦争に勝つために(国交における国益を最大化するために)、
敵に対しても味方に対しても一定の生殺与奪権がある.
芸術家も、やはり普通の人と同じ生活ではなく、
少し変わった生活をすることが、一般に受入れられる.

現在のマスコミは、政治家にこのような職能特殊の性質は無く、
一般人の模範になるような人物像を求めている.
実際は、政治家なんていうのは目的の推敲のために、
権謀術数を重ねる大悪党みたいな人間であるべきで、
そうでなければ国を動かすなんていう大事はできるわけが無い、
というわけだ.

それはまさにその通りだと強く納得.
日本の倫理観の源流は江戸時代から組み込まれている儒教なのだけど、
実際に論語では、僕らが知っている事と真逆のことが、
ちゃんと書かれているようで、
江戸、明治、昭和と、時代の政府が、
自分たちに都合の良いよう、僕らが今知っているようにカスタマイズして
しまっているらしい、、、


これを読んで、
政治家を見る目が少し変わったと思う.
この成長した目で現在の政治家の人達を見ると、、、
なんだか絶望しか沸いてこないのである.

そして、
スティーブジョブスしかり、
何かを変革しようとする ということは、
聖人みたいな人がやることではなく、
人としては最低や化物みたいな人にのみ、できること
なんだろうなと改めて感じる.


search
comments
archives
QR
QRコード