最近読んでいる小室先生の中国本で、
共同体(ゲマインデ)の話が出ていた.
ウェイバー先生によると、
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ゲマインシャフト: 本質意志にもとづく結合体」→感情融合による結合
「あらゆる分離にもかかわらず、結合している」
血のゲマインシャフト――母子、家族、親族、民族
場所のゲマインシャフト――隣人、村落
精神のゲマインシャフト――友人 (自治)都市
ゲゼルシャフト: 選択意志にもとづく形成体」→利害関心にもとづく結合
「あらゆる結合にもかかわらず分離している」
契約・大都市・学者共同体など.
中世自治都市は「精神のゲマインシャフト 、近代大都市は「ゲゼルシャフト 。 」
世界史はゲマインシャフトの時代からゲゼルシャフトの時代へ.
本質意志にもとづく結合の衰退=コミュニティの衰退.
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中国は、宗族という縦の繋がり(血縁)とホウとチンイーという横の繋がり(精神)があり、
韓国にも名前は忘れたけど、地縁による共同体、
欧米でいうと宗教による共同体がある.
これらは、現在でもしっかりと残っていて、
規範として個人レベルまで浸透していて、アノミーが起こる事を回避している.
一方、日本は戦前までは天皇教、そして最もコアなのが地縁による村落共同体があった.
それが、敗戦と1950年代以降の都市への人口流入によって消失し、
その受け皿となったのが企業だった と小室先生は書いている.
日本の終身雇用というのは、こういった社会学的背景もあって、
戦後50年続いてきたのかもしれない.
で
現在、その企業も大企業ですらいつ潰れるか分からないし、
終身雇用も危うい という状況になっている.
もう、共同体の最小単位である家族も崩壊してるし、企業もダメ、
日本人は、完全に人間としての重要な要素を失ってしまった状態である.
で どーするの?
と いろいろな小室先生も宮台さんも言ってるけど、
まあ その答えは今のところ無いわけで.
なんて考えていると、
最近よくテレビや雑誌でみかけるシェアハウスが頭に浮かんだ.
村落共同体があった頃に、そこから出てきた若者の、
都会での村落共同体となったときわ荘みたいな、
ずっと最近無くなっていたのもが、
少し様相を変えて、生まれてきているんじゃないか?
と妄想した.
彼らの動機は、一人で暮らすより楽しい や一人で暮らすより割安
だとか、単純なものだと思うのだけれど、
現代日本社会のヤバさを肌で感じている敏感な若者たちが、
こういった、新しいタイプの共同体を求め始めている と仮定すると、
けっこうおもしろいんんじゃないか?
というのも、
まだ10代20代ばかしの若者が10年後20年後も、
今度は家族として、シェアを続けていたりしたら、
これは、
建物とその敷地自体が村落共同体的なものになるんじゃないか?
その際に、共同体の色分けやサインとなるものは、
建築であって、それは、新築の建築じゃなくて、
やっぱり古いものをリノベーションしたものなんじゃないかなと思う.
共同体や親密感をつくるようなファクターに、
マテリアルや空間の時間軸は圧倒的な存在感を示してあって、
これをベースにした建築空間が、そういった新しい共同体を
包むシェルターとなるんじゃないだろうか.
まー、今僕がつくっているものとは真逆だけど、
つくりたいものの輪郭が少し見えた気がした.