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architecture, design, art, film, memorandum

January 2011

パフォーマンスを高められるか


how


躯は不思議なもので、
中国にいる間にCG屋でうつされた風邪でずっとぐったりしていたのに、
家に帰った途端に、ぐぐぐっとよくなってきた.

今回はまるっと2週間の出張というか合宿というか、、で
風邪を引きながらもかなりエンジョイした.
学生時代のスタジオさながらだった.

今回、やっぱり一番僕がエンジョイできたキーは、
デザイン部分を一手に引き受けて作業を進められたことに尽きると何度も感じた.

基本的にフロア内で、僕より情報を構築してコンペ等の資料を
まとめていける人が半分もいない.今までやった中ではほんの数人かと思う.
もちろん、それぞれのモチベーションによるところもあるのだけれど、
結果としていつも僕はマネジメント側になって、
おもいっきりデザインに取込む、リスクテイカー側のポジションができなかった.

今回はいろいろあって、そういったポジションを1.5人が配置されて、
図面をしっかり仕上げる人も確保された.
事前に僕がデザインスタディをかなり進めていたのもあって、
デザインだけをひたすら考えた.

平面計画との整合性を考えながら、
達成したいフォルムに辿り着くために必要なパスをいろいろとスタディし続けた.
施工性、アート作品ではなく建築であるためのシステム化も一番腐心した部分.

結果として、
周りの人にも、これなら勝てる だとか、
もっと都会のいい場所にないともったいない だとか、
元気づけられる言葉をいっぱいもらってがんばれた.


オレ、マネジメントも得意だけど、
デザイン/リスクテイクもけっこう器用にこなすなー と自分に感心した 笑

結果としてできたものは、いつもリスクテイクをしている人がつくるようなものではなく、
両方を睨みながら構築されたような、まさに自分らしいものになった.
そういう意味では、アトリエ系の作家さんがつくる作品のようなものではなく、
ビジネスとしてプロフェッショナルがつくる建築 という感じか.
こういう事を考えていると、
やっぱりフォスターが気になって気になって仕方が無い.


それはおいといて、
今回やっていて思ったのは、
各人が、それぞれの得意分野をもっと割り切っていったらどうなの?
というところ.
ある程度歳をとると、
ああ オレデザインより計画のが好きだわ
とか ディティールがとにかくおもしろい
とか
人によって思うことがあるんだろうというのは分かるのだけれど、
それって学生時代から大なり小なりあるわけで、
採用の段階でもっと分けていくというのはどうなんだろうか?
設備 電気 構造 建築 とかじゃなく、
意匠 ディティール 計画 マネジメント とか.
当然、各セクションが、浅く広く全体を知っている必要はあるけれど.

そうやってく方がハイパフォーマンスな場合があるんじゃないかなと
今回はすごく感じた.


とは言っても、何より何度も思ったのは、
やっぱ建築はおもしろい.
一人じゃできない.
誰も見たこと無いものをつくりたい.
もっとうまくなりたい.
もっともっとつくりたい.
という、
学生のような感覚だった.


久しぶりの視界


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久しぶりに設計をやっていて次のステップを確認した.

ここ数年海外の仕事を始めててコンペが増えて、
ゼロから自分の考えを構築する機会が学生時代ばりに増えていた.

一方、
学生時代のように師匠がいるわけではないので、
毎プロジェクトに成長を感じるような状況ではなかったし、
要綱が多過ぎて、または問題が複雑過ぎて、
意匠的なアプローチと建築計画的なアプローチ、プロダクションのバランスも悪かった.


今やっている現業、
今やっているコンペは、
そういった中で、比較的時間と人材があったこと、
今まで不完全燃焼ながらも失敗しながら積み上げてきたもの が
うまく消化できた気がする.

11月に現業の方、
まさに今月、コンペの方 と

抽象的なカタチ (えんぴつの殴り書き程度の”雰囲気”)

形態的なカタチ (上記を表現する具体的な形態、ラフにヴォリュームが合う)
↓ 
建築的なカタチ (工法的、計画的な部分との整合性)

今まで、
二段階目くらいまではなんとなく辿り着けるようになっていたけれど、
三段階目へのパスがようやく少し助けられながら見えるようになってきた.
これって、
難しいのは段階を経るごとに、つまり具象度をあげるごとに、
最初表現したかったスペシャルな部分が、
計画や工法に押されて、どんどん無くなっていくわけで、
ちょっとでも気を抜くと、もう違う人になっている.
最近は、ある程度、建築計画や構造、施工のことが勉強や実務を通して分かってきたから、
建築的なカタチへのステップを踏むことができた.

もちろん、
日々訓練して心がけていないと、一番肝心な
抽象的なカタチ を産むことはできない.
そういう人が学生時代から見ても、多分一番多いという意味で
1段階目からなかなか高いハードルだと思う.

で、
4段階目がある.

建築的なカタチ (工法的、計画的な部分との整合性)

新しいカタチ (計画的、構造的などの新しい使い方つくり方)

プロセスとしては前後するけれど、
レベルとしては正しいと思う.

正直、今やっているような数万平米という、
計画的にも規模的にも複雑なオーダーでこれを探求できるかは疑問だけど、
ここまで辿り着けたら、立派なもんです.

けど
少し見えてきたな.

夏時間の大人たち


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パコと魔法の絵本
嫌われ松子の一生
下妻物語

だとかで有名な中島哲也監督の初期作.
実際は、
『バカヤロー! 私、怒ってます 第二話 遠くてフラれるなんて』
がデビュー作/処女作のようだけど、
これはDVD無いみたいだから
現状手に入るのでは夏時間ー が最も初期の作品になる.

フランス映画、クリクリのいた夏 だとか
めがね みたいな ゆっくり流れる時間の中での、
非日常 じゃなくて、日常 を描いた、
ちょっぴりホロリとくる作品.

やっぱりセンスは、
いつか生まれるものではなくて、
始めからそこにあるものなのかな と思わせるクオリティだった.



中島監督に感銘を受けて、
どんな経歴の人なんだろうとwikipediaさんに聞いてみると、、
CM制作会社と映画製作会社出身らしい.



AKBのBeginnerのPVをつくっていたらしい.
しかし調べてみると、
彼のつくったヤツは
グロ過ぎてお蔵入り したらしく、
ふつーにテレビだとかで見るのはその中のふつーのダンスだけを取り出した
ヴァージョンのヤツらしい.


で見つけた.

http://www.dailymotion.com/swf/video/xffj5c?width=320&theme=none&foreground=%23F7FFFD&highlight=%23FFC300&background=%23171D1B&additionalInfos=1&start=&animatedTitle=&iframe=0&autoPlay=0&hideInfos=0

これは、
すげー攻めてる.
攻殻機動隊 x AKB という感じで、問題作と言われる所以が分かる.

確実にお金と手間をこちらにかけていて、
今のダンスバージョンがその一部ということもよく分かる.

これからも俄然注目です.




新しい地方都市の在り方


IMG_3163


実は新しい経験では無かったけれど、
セオリーていうものは、いつも目に見えてるものを、
少し違った角度から眺めた時に、ふわっとやってくるものでもある.

そんな感覚だった.
今まで考えてきたことよりも、ずっと肌に馴染む気がした.
今の地方都市の動きの延長線上に見えてくる風景.
これを少しアクティブに解いていく先に、
新しい地方都市の在り方 みたいのがあるんじゃないか.


実家に帰るたびに、
家族で行く蕎麦屋さんや鮎料理屋さん、鰻屋さん だとかは、
少し山奥にある.雰囲気もそっちの方がいいし、
味もおいしい.そして安い.
けっきょく閉まっていたけれど、
年末に友人に連れて行ってもらった蕎麦屋も、
奥まった集落みたいなところにあった.
彼と最終的に行ったのは、駅前商店街のインドカレー屋だった.
誰と行くにしても、
映画はショッピングモールに併設されたヤツだ.
僕の最近のショッピングは、大体がアウトレットモールかネット.


よくある地方の風景やライフスタイルだと思う.


この対極にあるのが、
スモールシティやコンパクトシティというライフスタイルで、
人口が減少していく中で、都市の中心部に職住を近接させて、
walkable で carlessな都市をつくろう というもの.
中間距離はトラムや電気バス または公共自転車で.

実際に成功しているドイツの諸都市や、
中世の都市構造が残っているヨーロッパのいくつかの都市には
そういうポテンシャルが既にあって、確かに魅力的な都市空間になっていて、
僕も日本の地方もそうなっていけばいいなーと思っていた.

けど、
寺社への参拝道や街道、駅前 だとかが、
あまり歴史的積層無くつくられ、都市がいろいろ途切れいたり、
アメリカ的なショッピングモールの進出で、
空洞化が加速度的に進んでいくような現代の地方都市では、
現状を考えると相当ラディカルな変化をもとめなければならない.
これは、東京や名古屋、大阪、福岡、仙台のように、
交通が便利になったことのよって日本的スモールシティが生まれている主要都市と大きく違う.


そのラディカルな戦略はなんだ? といろいろとここ何年か考えていたわけだけど、、

そうじゃないんじゃないか?
と ひらめいた.


車社会である地方都市は、鉄道のように硬直的なインフラに依らず、
住宅や商業施設の消費者は、その自然環境的立地をより柔軟に取捨選択できる.
飲食店等は、店舗の自然環境も含めたサービスそれ自体によって消費者に取捨選択される.
このような状況は、”駅徒歩何分”が圧倒的に不動産的価値をもつ、
鉄道網によって硬直的にされてしまっている主要都市部と反対の動きなのである.

ということを.


これって、都市としてすごくおもしろいことで、
駅なんかに影響されず、
本当に綺麗な場所やおもしろい場所おいしい場所に
地図上でいうと、面的にではなく、点的、島的に人が集まる.
東京では、駅ごとに島状にトライブができていると宮台さんは言っていたけれど、
地方都市では、まさに立地的にもバラバラに、トライブができていく可能性がある.

そのためのインフラとして、
代行運転やタクシーだとかのサービス料金の低下、
(飲酒運転の防止や運転できない人へのサポート)
電気自動車化にして電気チャージのサービス は必要だと考えられるが、
これが逆に整うと、
不動産的な価値が相当低い場所が主なターゲットとなる.

おもしろいプログラムとおもしろい建築ができれば、
人が集まり、
その結果、新たな不動産価値がそのエリアに生まれていく.


現状の地方都市では、大体情報は口コミでアナログに耳に入っている気がするけれど、
ここはがっつりネットを活用すれば、
毎週末がピクニック気分だし、ランチもちょっとでかけてみようかとう気になる.
そもそも職種によってはこれも立地にこだわる必要も無いし.


というように、
地方都市って、
地価が圧倒的に安いことによって、
こういったかなりゆるーい面的かつ点的な広がりが、
今後インフラをうまく整備していくことで可能になるんじゃないか.
今、まさに、そういうった動きの黎明期にきている.


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