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architecture, design, art, film, memorandum

October 2009

世代交代とか



non-noの看板が田中美保から変わるんだなー
今年の始めくらいから気にしていた.

岸本セシル.

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アットホーム子犬系だった田中美保から
キラキラ子犬系の岸本セシル.
その年齢差10歳くらい.

世代交代というのはこういう風に起こるんだなーと思った.
その場所の誰もが何となく共有する価値観をキープしつつも
全く新しい感覚を与える人物の登場.

彼女はそんなパワーをもった人だと思った.
かわゆす.


またもう一人、
王様のブランチで見つけたコ.

小島藤子

今 小公女セイラに出てるらしい.
fbdc0ccf.jpg


クオリティ高いですな.
まだ14 15歳.

今後が楽しみである.

いくつかの正しい愛



「私の中のあなた」
観てきた.
号泣号泣. 鼻水出たぜ.

およそハリウッド映画らしく無い、
散文的なプロット構成
複雑な答えのない答.

ヴィム・ヴェンダースのParis,Texasを思い出した.
娘のため 姉のため 妹のため 母のため 家族のため
みんなが相手のためを思って、
だけどそれが誰かを傷つけることも分かってるから
本当のことを言えなかったりする.

いろいろと分かってきたり、
その時の登場人物の気持ちを思って 泣く.


家族っていい.
最近歳とったなーと感じるのは
自分の家族がいい家族だなーと思うようになったことと、
自分もそんな家族をもちたいなーと思うようになったこと.

この映画の家族も、
本当に素敵な家族だった.

b170157c.jpg

Fooled by Randomness

ハノイでの仕事のついでにサパというヴェトナムと中国の国境にほど近い、
山岳民族がいっぱいいるエリアを旅してきた.
行ってみると、かなり観光地化していて
なんだか癒されない感じだったけど、
僕が日程的に行けなかった
山奥の集落へ1日とか2日かけて行くトレッキングの旅だと
けっこう楽しめそうな感じだった.


ちょー久しぶりの一人旅の旅のお供に
「まぐれ」原題:Fooled by Randomness
副題: The Hidden Role of Chance in Life and in the Markets
というのを持っていった.
この作者の続編の ブラックスワンもかなり書店で評判が
よかったので、気になって とりあえず一作目のこの本を
読んでみようと思って買ってみた.

感想としては、
知的脱力系エッセイ という感じで
多分、論文調だったら確実に読み切れない内容だけど
かなりおもしろくサクサク読めた.
古典 哲学 生物学 確率論 統計論 投資 とか
作者の興味範囲が散りばめられていてその繋がりとかもおもしろかった.

散文的なのでサマライズするのが困難というのと、
完全に内容を咀嚼しきれてないから
イマイチレヴューはしづらい.

けど
何個か印象的なものがあった.

頭で覚えているだけの知識は必要な時に使い物にならない.
人間は、いくら合理的に生きようとしても
情緒の支配から逃れることはできず、
情緒的な反応をおこしてしまうもの.
一方、
情緒を司る脳の部分が機能しなくなった人は合理的に
生活できるようになったかと思いきや、
朝 起きるかどうかの判断すらできなくなってしまった.
情緒 とは 
だいたい正しい とか だいたい大丈夫 というところで
指針を与えてくれる、非常に大切な機能である.


勝者や成功者の裏には運の要素が限りなく大きい.
これは歴史を見ても明らか.
こういうことを考える時は、
猿レベルの人がその同じ成功を獲得するのに
どのくらいの確率があるか を考えてみる.
すると、けっこう大したこと無い場合が多い.
ただ、
その人の能力によって
成功と失敗のレンジが変わってくる.
弁護士や医者はうまくいってもいかなくても
大体それなりの収入を得るが、
宝くじで1等をとった派遣肉体労働者は
うまくいかなければ一生そんな暮らしはできない.
みたいな.


ポパーの反証主義.
理論のあり方は2つ.
1検証が行われ、反証がおこなわれて棄却された論.
2まだ反証が成功していないので、間違ってるかは分からないけれど、
 棄却される可能性のある論.
つまり、
3確実に正しい論
ていうのは存在しない.
だから
常に正しいものなんてなくて、
自分の信念や認識すらも絶対的ではない.
それなのに、
そういったものに縛られて柔軟になりきれない人間の多いこと.
ソロスのサクッとした方向転換はすごい.
懐疑主義.

とかとかとか.
これをベースに
建築とか 人生とか 恋愛とか いろいろと
サパの星空を見ながら考えたものです.

自分のデザイン


ふと
後輩が設計における自分らしさにおいて
悩んでいたので
じゃあ自分は? と思い 考えてみた.


基本的には、マーケットベースで
形態をラディカルに変化させていく行為だと思う.

特に今やっているハノイの商業施設や集合住宅でも、
サイトベース、与件ベースから始まって、
ふっと頭に浮かんだ形態やコンセプトを少しずつ具現化させていく.
具現化とは、具体的には
ディティールに落としたり、
マーケットベースに落としたりすることで
これによって
どんどんデザインが深化していって
おもしろくなってく.

結果的に、
自分らしいというか、
サイト、プロジェクト独特の形態が最近は
出来上がってくる.
あんまり同じ用途の物件をやってないから、
同じ用途の場合どうなるか
それは意図的に同じにしないんだと思うけど、
最近のブレークスルーとしては
オフィス
データセンター
商業施設
集合住宅
とか.
それぞれ、
独特なものができあがってきてる.


まだ、
独立して商品化できるほど
洗練されたものができてくるわけではないけれど、
少なくとも、
ある程度
なんか見たこと無いもの はできてくるようになった.

ジャンプするのは
1 最初のコンセプト
2 マーケットの需要をマキシマイズするこ
3 ディテイール、実際のスケール、機能の整合

この3段階くらいで
グングンおもしろくなってく.
頑に最初のコンセプトを守る姿勢さえあれば、
絶対おもしろいものはできる.

デザインのフレームワークはけっこうできてきて、
自分より例えばディティールの知識がある人と組めば
コンセプトをよくしていける体勢が
ちょとずつできてきた.


ただ
まだまだ大人しい.
もっと、もっと、
圧倒的に攻めてるものをつくりたい.
そのためには、
ディティール、不動産マーケティング
これらの知識がもっと必要.

したら もっとジャンプできるかな.


しかし
最初の「ふっ」というひらめき、
この曖昧な部分が一番コアだと思う.
これは鍛えられるのか?
知らん.

少なくとも、知識や経験と
ちょっぴりのセンスと意思があれば
大体おもしろいものができるのかなー.

僕に関しては
それらをヴィジュアライズして
かっこよくプレゼンする技術が
まだまだまだまだしょぼいので
そこが一番の課題ではある.

意味付けという本能


森美術館のアイウェイウェイ展に行ってみた.
艾未未 Ai Weiwei.
初めて聞いたときは EYE WAY WAY と
思ってたけど、中国人の名前だった、、


知的におもしろい展示だった.

コンセプトの段階で作品が完成していて、
あとはそれを完成させる作業で
これはアウトソーシングする.
見る人は、そのコンセプトを理解する事を楽しむ.
純粋な形態とかじゃなくて、
意味を楽しむ という種の作品.
建築でいうOMAとか磯崎新 のような.


僕もそういうスタンスの人間なので
楽しかったけど、そういう作品にありがちな、
意味が分かるとそれ以上に大して深く無い
という哀しい現実を やっぱりアートでも味わった.
何時間見てても飽きないような、
意味じゃなくて作品自体をつくった作品とは違う.


意味系作家なので、
壁に彼の言葉が何個か書き込まれてた.
その中で、なるほど 言い得て妙 とうなったのがあった.

「人は対象に対して常に”意味”を求める.
家具に対してはそれを”使う”という意味だ.
私は、その意味を切り取る事で、
人々に新しい意味を見いだして欲しい.」

みたいなこと.
半分僕の記憶の脚色が入っている気もするけど、、

けど、うまいこと言う.

彼の作品で言えば、
例えば座るための椅子の座面を壁と平行にしてしまうことで、
もう座れなくなる.
そこに人は新たな意味を見いだす というようなこと.
作品によっては 作家がつけたタイトルが意味になるんだろう.



考えていて建築のことを思った.
建築の居住性や建物としての機能 について.
このウェイウェイの言葉が
大なり小なり当てはまるのかな と.

シェルターという住まうために最低限必要な要素が家にはあって、
そこに便利に暮らすために余分に必要な要素が加えられてきたのが
僕らが現在暮らしている家だとする.
と考えると、
建築家の行為は その要素を捨象していって、
その捨象した部分によって 新たに何かを
居住者や訪れた人に感じさせるものなのかもしれない.
これは
デザインは要素をシンプル化していく行為 という
デザインに対する一般的な認識にも通ずる.

例えば
アンドゥの住吉の長屋 とかも
部屋と部屋をつなぐ廊下の”屋根”を無くす事で、
部屋と部屋に従属する立場だった廊下を
家の主役にし、外部を感じながら暮らす というような
新しい意味を与えたものと言える.

人間は目にするもの、触れるものに
常に何らかの意味を見いだそうとする生き物.
通常の意味を取り外した時に見える 新しい意味.
おもしろい.

もっと削っていこう.


大切なものは失った後に気づく というのも、
この意味付けの本能の為せる技?
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