最近よく
建築家の再開発は医者の人殺しと同じだ
と考える.
その心は、、、
医者は常に人の生死に関わっている.
そしてその力は常に「生」に向かっているもの.
結果としての「死」はあっても
殺してはならない.
建築家とは 本来
社会や文化の代弁者として
都市計画やアーバンデザインをし、
デベロッパーや施工者も導き、
街 をより良く生かすもの.
そこにあったコンテクストを消し去り
全く新しい”街”的なものを
デベロッパーや施工者に加担して
街 を殺してしまうことではない.
デベにまかせるより、
オレたちがやった方が
少しはよくなるんだから
その分だけ価値があるんじゃない?
とか 言われそうだが
哀しいばかりだ.
情報 が最大の武器になる現代において
施工者
と
プロパティマネジメントやファシリティマネジメント
場合によってはアセットマネジメント側の
施主
の中間にありながら
マネジメントにおいてはデベロッパーやファンドに
施行においてはゼネコンに
完全に情報をもっていかれて
双方にいいようにやられている始末.
正確には
彼らは 情報を最大限に理解し、ディベロップし
活用しているのに対して
建築家は その情報構築において
かなり無知に近い.
最深部まではアクセスできないにしても
彼ら双方をリードできるような
建築家としての情報構築方法 はあるはずなのに.
そこに近づくことで
少ないお金のために仕事ヘバリツクような姿も
減るんじゃないか.
信念にあわないことは
NOと言うこと.
強い意志と社会や未来に対する責任をもって
YESと言うこと.
そんなかっこいい仕事がしたい.
あんなかっこ悪い姿には
絶対なりたくない な.